青い人 

Blue Man Group

行ってきました!

Blue Man Groupの日本公演!

ステージ寄りの前4列には、
席に最初からポンチョが置いてあって、
それを着てからショーを見ます。

どうせ見るなら、
そのポンチョシートで見たくて、
やっとチケットをゲット出来たので、
今日行ってきた次第です。

会場のインボイス劇場にたどり着くまでに、
かなり迷ってしまい、
ギリギリの到着となりました。

六本木、
何度行っても
迷う僕。

ブルーマン、
遅刻すると大変なことになるので(見た方は分かりますよね!)、
間に合って良かったです。

続きを読む

[2008/04/26 22:35] art☆ | トラックバック(-) | CM(0)

爆発した芸術 

岡本太郎・『明日の神話』

今日もよく晴れた一日でした。

「猿江恩賜公園まで散歩しようか」

と、彼女を連れ出し、
住吉に向かって歩きます。

いざ公園に着いてみると、
思っていたのとは少し違ったので、
東京都現代美術館まで足を伸ばすことに。

「何か面白い展示があればいいね」

と話しつつ到着してみると、
MOTアニュアル2008展『解きほぐすとき』というものと、
川俣正の『通路』というのをやっていました。

初めて訪れたこの美術館は、
無駄が多い建物という印象。

期待した上記の2展示は、
共に内容が乏しく、
『解きほぐすとき』に参加していた
手塚愛子の作品を除き、
得るものも刺激されることも、
まったく無かったです。

非常に残念・・・。

この時点で、
彼女もかなり退屈してしまい、
休憩にお茶をしつつ、
口ゲンカをしてしまう始末。

特に『通路』は、
ひどかった・・・。

あれは展示ではなく、
美術館というスペースの、
公的な私有化です。

悪い意味で。

川俣正という人が、
どんなに凄い人なのか知りませんが、
観客に自由度を与えることと、
放置することを勘違いしているのではないでしょうか。

とても残念です。

続きを読む

[2008/03/02 22:43] art☆ | トラックバック(-) | CM(0)

『ナポレオンとヴェルサイユ展』 

『アルコル橋のボナパルト将軍』 - ジャン・グロ作

両国の江戸東京博物館に足を運び、
『ナポレオンとヴェルサイユ展』を観てきました。

このジャン・グロの絵の他、
有名なジャック=ルイ・ダヴィッドの作品、
『サン=ベルナール山からアルプスを越えるボナパルト』
も展示されていました。

『サン=ベルナール山からアルプスを越えるボナパルト』

そもそも江戸東京博物館の常設展を目当てに、
予備知識ゼロで行った美術展だったので、
何だか得した気分☆

他にもヴェルサイユ宮殿のグラン・トリアノンで
ナポレオンが使っていた執務机や、
自らが創設したレジオン・ドヌール勲章など、
ヴェルサイユ宮殿美術館の全面協力により、
貴重な資料が展示されています。

ちょっと人が多すぎて辟易しましたが、
展示内容は素晴らしかったですね。

やっぱりナポレオンは人気がありますし、
それに値する英雄だったのだと思います。

彼が公布した、いわゆる「ナポレオン法典」では、
人間のもつ自由や法の下の平等などが規定され、
私有財産の絶対性を強調するなど、
現代の法律に通じる基盤が作られました。

単なる軍人・英雄ではなく、
絶え間のない努力をした人であり、
芸術や学問を愛した人でした。

エジプトからロゼッタストーンを持ち帰って
古代エジプトの歴史解明に大きく貢献したり、
缶詰やカフスボタンを発明したり、
世界史好きにはたまらない逸材です。

ちなみにこの美術展の後、
本来の目的である常設展にも行ったのですが、
ナポレオンですっかり疲れきっていて、
とても回りきれずに帰ったのでした・・・。
[2006/06/04 22:18] art☆ | TB(0) | CM(0)

クライマックスに向かって 

moon

今日は、朝から早起きして、上野の国立西洋美術館に行ってきました。

ドレスデン国立美術館展―世界の鏡

ドイツ極東の地ドレスデンに居城を構えたザクセン選帝侯のコレクションが展示されています。

ドイツの画家の絵が中心なのかと思ったら、そうではなく、むしろトルコ、イタリア、フランス、中国や日本、オランダの作品を中心とする展開で見せて、最後にその結実たるドイツ・ロマン主義で締めるという構成でした。

入るといきなり、金色に輝く、巨大な集光鏡が現れ、他にも地球儀やら測量器具やらオスマントルコ軍の鎖かたびらやら、なにやらかにやら、博物館に来たのかと思ってしまいます。

途中、最初レンブラントの絵として購入され、その後はレンブラントの弟子の作品とみなされて日陰に放置されていたというフェルメールの『窓辺で手紙を読む若い女』や、こちらは本物レンブラントの『ガニュメデスの誘拐』などの大作もありますが、僕的な山場は、ヨーロッパで初めて磁器製作に成功した、いわゆるマイセン磁器のコレクションでした。

最初は中国や日本の単なるコピーだったものが、徐々にオリジナリティを確立していく過程が、とても興味深かったです。

あとは、最後のドイツ・ロマン派、フリードリヒの『月を眺める二人の男(写真の絵です)』、
及びダールの『満月のドレスデン』。

各国文化の奔流の中で、自らを見つめ、昇華させていく。

この絵たちがあるからこそ、この美術展には意味がある…。

僕はそう思いました。

★『ドレスデン国立美術館展―世界の鏡』
上野は国立西洋美術館にて、9月19日まで。

★この美術展に限らず、こうした美術展では、
音声ガイドを借りることをお勧めします。
たった500円で、何倍も美術展を楽しむことが出来ます。
当時の音楽などを聴きつつ見る絵は、最高ですよ♪
[2005/08/06 23:24] art☆ | TB(2) | CM(6)

コクトーじゃん 

Jean

今日も色々と幸せで、
充実した一日。

日本橋三越に、『ジャン・コクトー展(日本橋三越新館7階にて7/31まで)』を見に行ってきました。

僕は大学の卒論を、オスカー・ワイルドについて書いたのですが、その時に、コクトーの『阿片』という作品についても触れました。

そしてそれがキッカケで興味を持ち、僕は彼についてもっと知りたいと、常々思っていたのです。

まず展示された作品数がとても多かったです。
ただ習作(下書き)があまりにも多く、有名な作品のそれであれば、時としてその作品が出来る過程が垣間見えて楽しめるものですが、多数の習作、しかもその完成作品との並列展示が少ない場合、見ている方はよほどその画家のタッチが好きであったり詳しくないと、飽きてしまいます。

総じて、作品としてのパワーの弱い物が多く、例えばエリック・サティでも聴きながらサラッと見てしまうのが、画家コクトーの楽しみ方なのかもしれません。

可愛いしオシャレだし、センスいいなぁとは思いますが、僕の中ではそこ止まりですね。

シーレやゴッホを見るのと、或いは同じ挿絵画家としてはオーブリー・ビアズリーを見るのと同じ感覚で見ると、ガッカリしてしまうかも!?

やっぱり芸術には、困窮や衰弱、孤独や葛藤が必要不可欠なのでしょうか…。

といいつつも、しっかりポストカードを買ってきた僕。
あんな絵がサラッと書けたら、楽しいだろうなぁ♪


★Jean Cocteau(1889.7.5.〜1963.10.11.)

パリ近郊の小さな町であるメゾン・ラフィットでクレマン・ウジューヌ・ジャン・モーリス・コクトー(Clement Eugene Jean Maurice Cocteau)として生まれる。
当時12歳の姉マルト、当時8歳の兄ポールに次いで生まれた末っ子であった。

父ジョルジュは絵を描く趣味があったが、1898年、ピストル自殺で他界する。

中学校時代には図工の成績がよかった。
同級生のピエール・ダルジュロスは小説『恐るべき子供たち』のダルジュロスのモデルとも言われている。

高校生時代には、学業には力を入れず、マルセル・プルーストらと出会うなど文学に没頭、当然大学受験に失敗し、進学を断念する。

1909年、自費にて最初の詩集『アラディアのランプ』を発表。
当時世界を席巻していたロシアバレエ団の演出家ディアギレフや、天才ダンサーであるヴァスラフ・ニジンスキーに出会うなど、バレエ関連の人脈も増え、バレエを通じて、ココ・シャネルをはじめ多くの人と出会うこととなる。

1911年、前衛作曲家イゴール・ストラヴィンスキーにも出会う。

1915年、アメディオ・モディリアーニをはじめとするモンパルナスの画家との交流が始まる。
同年、エリック・サティやピカソとも出会っている。

1916年8月12日にモンパルナスの喫茶店「ラ・ロトンデ」にピカソ、モイズ・キスリング、モディリアーニ、アンドレ・サルモンらと一同に会し、この時にコクトーが撮った彼らの写真(上記コクトー展にて展示)は著名である。

1917年、前年からピカソ、サティらと手がけたバレエ「パラード」初演。
1918年、後に六人組と呼ばれる作曲家を集めたコンサートを開く。
1920年、一時は興味も覚えていたダダに反対の立場を鮮明にする。同年、プーランクらとジャズ奏会なども開いている。

1924年頃、阿片の常用が始まる。
1926年、シュルレアリスト達と激しく対立する。
1929年、阿片の療養の中で小説『恐るべき子供たち』を執筆。

1930年にかつてブニュエルの『黄金時代』などにも資金を出したド・ノアイユ子爵の資金で『詩人の血』を実質の初監督。
1934年、演劇『地獄の機械』を初演。
1940年、エディット・ピアフのための演劇『Le Bel Indifferent』。この年に阿片から足を洗っている。

1945年、代表的映画作品『美女と野獣』を監督。
1955年、アカデミー・フランセーズ、ベルギー王立アカデミーの会員に選出された。
1960年、アンドレ・ブルトンの反対を受けながらも「詩人の王」に選ばれる。

1963年、心臓発作療養中の病床で、親友でもあったエディット・ピアフの死を知り、その4時間後に亡くなった。
[2005/07/30 23:33] art☆ | TB(2) | CM(4)